歴史上で縁の下の力持ちだった人物①

縁の下の力持ちという意味では、主君に使える戦国武将にも通じるものがありますね。
歴史上の武将を何人か紹介してみましょう。

まずは蒲生氏郷(がもううじさと)が挙げられます。

蒲生氏郷は、天下人となった豊臣秀吉が徳川家康よりも恐れた武将とも言われています。
あるとき秀吉が家臣たちに「百万の兵を率いたならば誰が一番強いか」と問いました。
すると、大多数が家康や前田利家と答えたのに対し、秀吉はこれを否定して蒲生氏郷と言ったとされています。

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織田信長にもっとも認められた武将

なぜここまで秀吉が氏郷を恐れていたのかといえば、氏郷が織田信長にもっとも認められた武将であったためです。
蒲生家は信長の前は織田家と敵対する六角家に仕えていたのですが、信長が六角家を滅ぼす際に蒲生父子の六角に対する忠義心と武勇を惜しみ、織田方への投降を勧め、信長に仕えることになりました。

それ以降、氏郷は信長に気に入られ、元服したのちに信長の娘である冬姫と結婚します。
つまり、信長が義理のお父さんになるくらい気に入られていたんですね。

この後も信長に従軍して数々の武功を挙げていますし、さらに本能寺の変では安土城にいた信長の妻子を救い出して日野城に保護するほどの活躍を遂げています。
信長亡き後も氏郷は秀吉に愛され、後のほとんどの戦に従軍していますが、残念ながら若くして病死してしまいました。

信長に「蒲生が子はただものならず。彼が勇将ならずんば、外に勇将なる者なし」とまでいわしめたほどの武将です。
もし長生きしていれば、その後の歴史は大きく変わっていたと誰もが納得するほど、文武両道に長けていた武将でした。

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