歴史上で縁の下の力持ちだった人物③
太閤 豊臣秀吉の弟にもかかわらず、それほど多くは語られていない人物、豊臣秀長。
この人の秀吉を支える縁の下の力持ちっぷりはとても大きなものです。
豊臣秀長は豊臣秀吉の弟として、生涯通じて補佐役に徹した人生を送り続けた人物です。
秀長の性格は、上昇志向が強い秀吉とは対照的で、温厚で生真面目、的確な助言に定評のある人物とされています。
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見事な内政手腕で調和のとれない豊臣政権をまとめた人物
活躍したのは秀吉の補佐役としてだけではありません。
四国征伐では病気の秀吉に代わって総大将として出陣し、自分の力で四国を平定します。
また、四国平定後は一揆が相次ぐ大和・紀伊・河内の領主となり、見事な内政手腕でこの地をうまく統治します。
そのくらい人望もあり、文武に秀でた秀長のライフワークは、豊臣家の内部の問題解決と秀吉のやりすぎを抑える役目でした。
秀長は調和のとれない豊臣政権のまとめ役だったんですね。
だからこそ秀長が亡くなった後に、豊臣政権が大きく変わることになります。
秀吉晩年の暴挙とも取れる、千利休や豊臣秀次の切腹、朝鮮出兵などは、全て秀長の死後に起こっています。
歴史でたらればを語るのは全く意味がありませんが、もし秀長が長生きしていれば歴史が変わっていたのかもしれません。
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